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ゲームの話とか、FateGOとか。

ファイナルファンタジー15の感想(ネタバレあり)

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年末辺りに安売りされていたFFナンバリング最新作であるFF15を購入。

つい最近クリアしたので色々と書いて行こうと思う。…ネタバレありで。まだクリアしていない人は、引き返した方が良い。

 ・ゲームについて

・主人公はノクティス王子。そして、お付きのグラディオラスとイグニス、友人のプロンプトの合計4人がほとんど固定のパーティとなる。(ゲストキャラの参加、一時離脱などはある。)

・今作の主な移動手段は、ノクティスのパパのマイカーであるレガリア。外見、性能のカスタマイズや、改造によって飛行形態への変形も追加される。

・目玉となっているオープンワールドは、豊富なロケーションのバリエーションを誇っていて、道路を巡っているだけでも結構な冒険気分を味わえる。ロケーションの具合も見事で、実際にプレイしてみると、開発が『岩とか背景を拘ってます!』とその頑張りの様子をツイッターにアップしてたのも、納得はいく出来になっている。

・冒険しているうちに、プロンプトがノクティス達を時折撮影する写真機能がある。ほぼ自動で、その撮影のタイミングやアングル等に、プレイヤー側から介入する事は出来ない。(会話の選択肢で写すキャラの傾向を操作したり、戦闘中にアビリティで撮影させる等は出来る)

・キャンプでのイグニスの料理や、各ダイナー、レストランで食べられる食事で一時的にステータスがブースト出来る。料理自体のグラフィックもあり、それぞれリアルな出来でおいしそう。

・戦闘はほぼ完全なアクションではあるものの、回避、攻撃はボタンを押し続ける事で行えるのでとてもお手軽。更にアクションが苦手な人用に戦闘が優しくなるイージーモードや、時間が止まるウェイトモード等があり、プレイヤーに応じての難易度の幅が下の方向に大きく取られていてかなり優しい。

 

といったところ。全体的に結構いい感じだ。特にほぼ男4人旅なのが新鮮で、オープンワールドを探索する中でだんだんブロマンスが構築されていってるのを体験するのが面白い。

———と、前提を置いた所で、ここからネタバレ等も入れてFF15で気に入った所をピックアップし、どのような面白さがあったのかを書いていきたい。

 

オープンワールドで縮むプレイヤーとキャラクターの距離

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FF15の象徴とも言えるオープンワールド。非常に美麗なグラフィックで彩られた素敵なワールド。そこで主人公であるノクト達は様々な探索をしたり、クエストを熟したりする。それはただの作業ではなく、一行の何気ない会話などによってプレイヤーとキャラクターを結ぶしっかりとした冒険に昇華されている。

例えば、虫系の敵を倒すと、ノクトがプロンプトに

「お前、虫嫌いだったよな?」と聞き、

「うん、そうだよ。」とプロンプトが返すと

「だよな、俺も。」とノクトが言うやり取りをしたり、

洞窟のダンジョンに入ると、

プロンプトが「ここ暗くて怖ーい!入りたくなーい!」と愚痴を零したりするし、

大ボスとの戦闘に勝利すると、同じようにプロンプトが

「俺たち、キングスナイト(ソシャゲ)みたいじゃない?」と言い、

ノクトが「じゃあ俺は星5の強さだな」と返し、

グラディオが「いや、そのレアキャラは俺だろ。」と返す。

これらの無駄話は、特にゲームとしては必要のない会話ではあるものの、キャラクター達へのプレイヤーの共感と没入を誘う為の会話なのだろうなと感じた。

例えゲームであろうと虫が苦手である。という人は一定数いるし、暗所、狭所というものは、ほとんどの人が怖いなーと感じる所だ。ソシャゲの話に関しては、わざわざ言及しなくとも現在のソシャゲ隆盛、流行の時期を生きている私たちにとっては、全く共感出来ない、理解出来ないというものではないだろう。

今作のメインストーリーではノクト一行はどういうヤツらなのかというのが殆ど掘り下げられない。上に挙げたような、日常や戦闘などで時折行われる、現代社会の若者同士のような何気ない会話や、戦闘中に交わされる連携、突発する仲間とのクエストなどでじっくりと掘り下げられていく。そのそれぞれが私たちプレイヤーの共感や感情移入を誘うもので、それがオープンワールドRPGにおける難点である、キャラクターへの感情移入の難しさと、移動中のもの寂しさを解消していて、非常に好感度が高い。

・料理や写真等の更なる没入をもたらすオープンワールドのコンテンツ

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今作でのオープンワールドに次ぐ目玉の要素となっている、料理や写真といった要素は、

料理要素では、食べると皆の力が湧いてくるという、その美味しさが伝わる食事による効果。大好きなものを食べる事で、上機嫌になりさらに調子が良くなるキャラクター。そして上の画像にある様な、まるで本物と見紛う料理のリアルなグラフィック。それらはノクト達が単なるキャラクターではなく、地に足の着いた人間であるというのを表現しており、プレイヤーである自分もそこにいるかのように感じさせる手助けになる。

料理のシステムは、他のゲームでも前から実装しているシステムであり、その中で好き嫌いなどでキャラクターの魅力付けなどを行い、先を行っていたが、FF15はそれらの良い所を取り入れつつ、上手く進化させている。

 

続いては写真の要素だが、こちらはストーリーで強制的に撮られるものを除けば、全くと言っていいほど、他のプレイヤーと同じ写真を撮る事は出来ないというものになっている。

街中やダイナーなどにおける何気ない日常の写真でも、 それぞれ写る場所、アングル、キャラ、人数、ポーズ、エフェクトなどによる違いがあり、戦闘中は更に使っている武器やアクションのタイミングなどによる違いも出て来てしまう。更に、戦闘中は写真写りが悪くなるので、とても綺麗に写っている写真はかなりレアだ。

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(上の写真は戦闘中に撮れた奇跡の一枚。とてもかっこいいグラディオが写っている。)

 

故に、例えどんな他愛ない日常の一枚であろうとも、プレイヤーが保存している写真の一枚一枚は貴重な一点物になっていて、見返していけば自分の辿って来た道のりや思い出が思い浮かぶという、作品世界への没入を更にもたらすものへと昇華されている。

 

これらの要素は、どちらも前世代であるXbox360PS3よりも、贅沢にフォトリアルなグラフィックを表現できるようになったことによって、ゲームとプレイヤーを繋ぎつつ、上手くゲームの世界を構成する要素として纏め上げられているように私は感じた。

特に写真に関してはその恩恵が凄まじく、実在のもののように鮮やかになった空や水と大地。キャラクターもひと昔前のプリレンダムービー並の細やかなディテールをした外見を獲得している。

そしてそれをさらにリアルに近づける、細やかなライティングや、実際のカメラを使ったかのような被写界深度、水面の反射を表現するリフレクションが写真の実在の景色感を際立たせている。

(ライティングや、被写界深度については、一番上に貼っている写真が分かりやすいか。ノクトの肌や服は夜店の電球の光に照らされ、背景がぼやけてノクトにのみ焦点が当たっている。実際の写真とも思えるような出来だ。)

(ライティングに関しては料理も恩恵を受けていて、上のガルラステーキの画像では肉やソース等の照りが表現されて、食品サンプルっぽさがなく、美味しそうだなと感じさせられる。)

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(リフレクションは今貼ったものがわかりやすい。水面に木や建物が反射し、オーシャンブルーが映えている。)

ほぼ一期一会の関係である貴重さと、今世代において獲得した贅沢な表現も合わせて、今回の要素である写真撮影は非常に楽しく、プレイヤーもその世界に没頭しやすくなっている。

前世代以前では到底味わう事の出来なかったこれらのコンテンツは、FF15の面白さに間違いなく貢献していると言える。

 ・オープンワールドの終わりと、寄り添い続けた事で得られる感動と離別と後悔の物語。(ネタバレ)

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前半は気ままに写真やキャンプの食事といった要素を楽しみながら、車を走らせつつオープンワールドを旅していたが、後半はリヴァイアサン戦において、ノクトの許嫁であるルナフレーナが亡くなってからというもの、これまで得られていた自由度は無くなり、ゆったりした進行から、完全にリニアなRPGとなって一気に加速し、急降下と言わんばかりにありとあらゆるものからノクトとプレイヤーは打ちのめされ続けることになる。これまで連れ添って来た仲間との亀裂、コメディリリーフの一時退場、自由度の象徴であった車との完全な決別、孤独と背負うべき責任との対面、仲間たちとの大切な10年の喪失といった困難に苛まれる。

10年を失った後、共に巨悪へと立ち向かう仲間を取り戻したが、そこで全てを終えた時に待っているのはこの世との別れだ。

前半は自由に世界を歩めたノクトの最後を選べないなんて!こんな悲しい結末なんてあんまりだ!と思った人も居たりするのかな…とも思う。まぁ、大体の人はJRPGなのだから一本道なのはしょうがないと思ったことだろうと思う。

けれども、ノクトの最後から、プレイヤーは受け取れるものがあり、そこで物語の終わりは分岐する。それは、別離の寂しさ、終わりへの後悔のどちらかである。

最後まで、10年後のノクト達の抱いている気持ちというのは、明言されない。ラストに「ありがとう」という感謝の言葉と父に対する「胸張って戻って来た」という言葉はあるものの、その手前の「辛えわ」と辛い気持ちを残すノクトの王の姿としてではない本音の言葉があるので、そこに後悔の気持ちがあるのか、別離の寂しさがあるのかという判断はプレイヤーに委ねられる。

そして、その直後に「お前らの事好きだわ。」という言葉もある。その言葉は、ノクト達に寄り添い続けられたのかどうかで、受取り方にさらに違いが出てくる。それは仲間3人に向けた言葉か、ノクト達と今作を駆け抜けた4人目の仲間であり、最後の意思選択の代理人でもあるプレイヤーにも向けられたものか。

それらの考えに辿り着いた時、

「果たしてノクト一行に寄り添えていただろうか? 」

「彼らを後悔なく導いてやれただろうか?」

「その言葉の一つ一つの意味がしっかり噛みしめられる旅を歩んできただろうか?」と自問する。

そこで写真という今作独自の要素が活きてきて、ラスト付近では、プレイヤーはノクトの冥途の土産となる一枚を選び、エンドロールでは保存した写真一枚一枚が流される。それらにきっちり胸を張ってやれるのなら、プレイヤーはちゃんとした道筋を追ってきていて、後悔などなく終わりを迎えているはずだ。

私はラストで選んだあの写真以上のものはもう撮れない。エンドロールで表示された一枚一枚。同じものなど一つもないそれらには、とても言葉には出来ない私だけのドラマがある。私はしっかりと旅を楽しんだだろう。物語の終わりをきちんと受け入れた。と思っているので、クリアした事に対する後悔はない。そこに残ったのは寂しさだ。だが、まだノクト達の思い出は足りなかったとクリアした事を後悔し、またオープンワールドに戻った人もいる事だろうとも思う。

しかしながら、もうエンディングを観てしまった以上、もうあの時と同じ気持ちにはなる事は出来ない。

「戻らないあの頃。」

オープニングとエンディングでスタンド・バイ・ミーがうたわれている理由の一つであろう。その後悔もまた一つの物語として受け入れる以外にない。

・そして、終わりたくないという後悔

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前述したまだ思い出が足りないままクリアしてしまった後悔…というのはなかったのだが、私はFF15を終えて暫くして、 物語を終わらせてしまった事の後悔は持ってしまった。

普通のゲームでも、人によってはこのゲームを終わらせたくないと、ラスボス前でゲームを終えてしまう人がいると聞いた事がある。それを聞いた時、私は「はは、そんな事をする人が居るなんて」と笑った様に記憶しているが、その人の気持ちが今になってみるとわかるような気がする。

私の感受性が上がったわけではないと思う。今作では、ゲームの側が、キャラクターに生命の息吹を感じさせる作りを徹底していたからだ。先に述べた無駄話や食事、写真等の要素、それを繰り広げるリアルな描写がされたオープンワールドはノクト達が生きている人間らしさを表現する手段や場所として大いに貢献している。

そんな「血の通った生きている人間」としてゲーム内で像を強く結んでいた彼らを、私の手で終わらせて本当に良かったのだろうか。終わらせないまま、思い出として残しておいた方が良かったのではないか。そう後悔するばかりだ。

 

FF15から感じるゲームの進化

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そんな中で、良かった事は二つある。

プレイして感じた事をちゃんとブログという形に残せた事。

そして、ゲームの進化を感じられた事だ。

現在のXboxOne、PS4に代表される据え置き機第8世代は、前世代の第7世代からのゲーム自体の変化が乏しく、料理、写真の時に紹介したような、前世代よりもさらにリッチでリアルな表現が出来る事ぐらいしか認識がされていない。最近ではゲーム自体の変化が少ない為、目新しいものとして、外部デバイスであるヘッドマウントディスプレイを使用したVRコンテンツを目玉にする今日この頃だ。

そして今世代に入ったことで更なる開発力低下、開発費高騰についていけない等の問題でさらに存在感が無くなりつつある日本国内の据え置き機向けゲームなのだが、そんな中FF15は、今世代の豪華な表現をゲーム全体をリアルにするフレーバー程度のものから、ゲーム内コンテンツの重要要素として、ただの綺麗なテクスチャを貼られたイケメンのお人形さんを生きて血の通った人間にするものとして昇華させている。「表現を利用し、人形を血の通った人間にする。」これは、今世代のグラフィックを重視するゲーム達が追い求めている事であるし、FF15がそう感じさせてくれた事とは、今世代の進化の完成を意味しているのだろうと私は信じている。

・文句は多くある

・ストーリーでのキャラの動機などの説得力が所々モロモロ

・サブクエストがうすあじ

・深く語られる事なく使い捨てにされたキャラが多い

オープンワールドでうろうろしている野生動物、シガイの少なさ

・キャラクターの過去、ノクトの考えている事が本編より関連作のアニメ、ブラザーフッドFF15の方が深く分かりやすい形で描写されている

・映画キングスグレイブFF15を観ないと今の所分からない本編の箇所が多い

とかの色々な文句は多々ある。MGSVTPPにもあったような、今世代の海外のものに通用する大作を生み出す際には粗が生まれるなーというのは今作も例外ではない。その文句の付けられる所は今後DLC等で補強されるらしいが、その配信スケジュールが気長に過ぎるので、割と今作には寛容になりたい私も「ちょっと!」と突っ込みを入れたい。他はどうでもいいから、イグニスの失明エピソードだけは一番先に補って欲しい。果たして説得力のあるものとして語られるのだろうか。 

・せめて企業、シリーズの評判が悪くないのなら…

開発・販売元のスクウェア・エニックス。そしてファイナルファンタジーブランドは12、13辺りから評判が芳しくない。それにFF15自体、元々評判の悪いFF13の外伝、ヴェルサス13がナンバリングに変わった作品でもある。それらの事があってか今作を正当に評価している人はとても少ないと感じる。

終盤の完全な一本道になったことで起きた加速によるオープンワールドからの落差の妙を手抜きと評価していたり、主人公のノクトや仲間たちのキャラクターの理解をしっかりせず、キャラクターが薄いと吐き捨てられていたり、確かに悪い所はあるものの的外れな意見やプレイヤーが真面目に汲み取れていないといったものが目立つ。

せめて評判が悪くないのなら、巷の評価も違ったし、欠点はありつつも皆感じ入るものもあったのかもしれないなと思う。

 

FF15は、とても良いゲームだったなぁと感じたので、色んな人にプレイして、オープンワールドで奏でられる男4人のドラマを体験して欲しいのだが、暫くの間は純粋にプレイするのは無理なんだろうなぁとも思う。とにかく残念でならない。